一万人の戦国武将

那古野城(なごやじょう)

別名 柳ノ丸
所在地 愛知県名古屋市中区二の丸1
築城主 今川氏親
築城年月日 1521年~1527年(大永年間)
廃城年月日 1555年頃
城主 今川氏豊
織田信秀
織田信長
織田信光
城代 林秀貞
構造

年表

1521年~1527年
(大永年間)
那古野は、元々駿河国の今川氏親が尾張国東部まで支配領域を拡大していた時期に庶流の那古野家が領有し、斯波家が尾張国を領有した後もこの地に留まっていた。今川氏親が尾張国進出の拠点として、現在の名古屋市中心部に広がる熱田台地(名古屋台地)の西北端に築城した「柳ノ丸」を起源とする。那古野家の養子となった今川氏親の五男の今川氏豊が城主となる。
1538年 織田弾正忠家の織田信秀は計略により今川氏豊を追放して城を奪い、拠点を那古屋城に移した。那古野城という城名はこのときつけられたという説がある。この出来事は1532年の説がある。
1542年 織田信秀は三男の織田信長を那古野城の城主とした。
1555年 織田信長は、織田大和守家織田信友を滅ぼして清洲城に移った。織田信長が離れたあとは、叔父の織田信光が城主となり、家臣の林秀貞が城代を務めたが、やがて廃城となった。
1609年 徳川家康はこの城の故地に目をつけ、名古屋城の築城に着手した。築城の直前には鷹狩に使われるような荒野になっていた。