一万人の戦国武将

織田家(おだけ)

織田家は忌部(斎部)氏で、越前国丹生郡織田荘の劔神社の神官を務めていた。1290年に津田親基が近江国津田荘に住んで津田を称していた。織田荘の地頭を務めていた曾孫の織田常昌が越前国守護の斯波家に仕えて織田を称した。劔神社の神職は弟の織田昌之が継いだ。1393年6月17日付の劔神社の置文で織田信昌・織田将広の父子が藤原氏を仮冒した。1400年、越前国守護の斯波義重は尾張国守護を兼ねるようになり、1402年、織田教信(伊勢入道常松)を尾張国守護代に任命した。これが織田家が尾張国に移住したはじめである。織田教信は従兄弟の織田常任(常竹)を尾張国又守護代とした。織田宗家(守護代家)が織田伊勢守家となり、分家(又守護代家)が織田大和守家として分かれた。家臣化した分家は津田を称するようになった。

家系図

織田家