一万人の戦国武将

勝幡城
(しょばたじょう)

別名
所在地 尾張国中島郡
愛知県稲沢市平和町城之内地内
築城主 織田信定または織田良信
築城年月日 1504年
廃城年月日 1555年以降
城主 織田良信?
織田信定
織田信秀
城代 武藤雄政
構造 東西約87m、南北約127mの城域をもつ方形の城郭で、東西に二重の堀、さらに外郭を有する、当時としては比較的規模の大きな城だった。本丸は東西約53m、南北約78m、幅5.5mの方形土塁だった。三宅川が外堀の役目をした。

年表

1504年 織田弾正忠家の当主の織田信定が築城した。または、織田信定の父の織田良信が尾張国海西郡を領有したときに、大中臣安長の屋敷跡に築城して、居城としたともされる。
年代不詳 この一帯は古くから塩畑と呼ばれていたが、織田信定あるいは織田信秀が「勝ち旗」の意の「勝幡」と改名したといわれる。
1533年 勝幡城に招かれた山科言継は、その城の規模とできばえに驚嘆したとの記録を「言継卿記」に残している。
1538年頃 織田信秀は今川氏豊の那古野城を攻略して居城を移した。城代に家臣の武藤雄政を置いた。
1555年 織田信長は那古野城から清洲城に居城を移し、その際、城代の武藤雄政を野府城に移したため、しだいに衰退して廃城した。

備考

参考文献 戦国人名事典 コンパクト版(新人物往来社)1990年発行
ウェブサイト コトバンク 2026年6月6日閲覧
ウェブサイト あいちの歴史観光推進協議会 2026年6月6日閲覧
ウェブサイト 稲沢市観光協会 2026年6月6日閲覧

那古野城
(なごやじょう)

別名
所在地 尾張国愛知郡那古野
愛知県名古屋市中区二の丸1
築城主 駿河今川家の一族
築城年月日 1433年以前
廃城年月日 1582年頃
城主 今川氏豊
織田信秀
織田信長
織田信光
林秀貞
城代
構造

年表

1433年 鎌倉時代後期から名古屋台地北部の那古野の地を領有していた駿河今川家の一族の館の存在が史料で確認できる。
1521年 駿河国守護の今川氏親が館を改修し、子の今川氏豊を置いた。
1538年頃 織田信秀は今川氏豊から那古野城を奪い取り居城とした。。
年代不詳 織田信秀は古渡城を築いて居城を移すと織田信長に那古野城を譲った。
1555年 織田信長は清洲城に居城を移すと叔父の織田信光が城主となる。
1555年 織田信光が没すると織田信長の重臣の林秀貞の居城となる。
1582年頃 廃城となる。
1609年 徳川家康はかつての那古野城の跡地に名古屋城の築城を決めたが、このころの那古野城跡は鷹狩に使われるような原野になっていた。

備考

参考文献 ウェブサイト 名古屋城公式ウェブサイト 2026年6月6日閲覧
ウェブサイト コトバンク 2026年6月6日閲覧