一条兼良
(いちじょうかねら)
(いちじょうかねよし)
| 生年月日 | 1402年5月7日 |
|---|---|
| 没年月日 | 1481年4月2日 |
| 幼名 | |
| 通称 | 桃華老人 三関老人 東斎 |
| 別名 | 一条禅閤(ぜんこう) |
| 法号 | 覚恵(かくえ) 成恩寺殿(じょうおんじどの) |
| 官位 | 正五位下 従三位 正三位・権中納言 権大納言 内大臣 従一位 左大臣 摂政 太政大臣 関白 准三宮 |
| 家系 | 一条家 |
| 父 | 一条経嗣 |
| 母 | 東坊城秀長の娘 |
| 正室 | |
| 側室 |
年表
| 1402年 5月7日 |
関白の一条経嗣の子として生まれる。母は東坊城秀長の娘。 |
|---|---|
| 1412年 | 兄の一条経輔が病身であったため、11歳で元服した。正五位下に叙爵して禁色(きんじき)、昇殿を許された。 |
| 1413年 | 従三位に叙される。 |
| 1414年 | 正三位・権中納言に叙される。 |
| 1416年 | 権大納言になって家督を相続。 |
| 1421年 | 内大臣に任ぜられた。 |
| 1424年 | 右大臣に任ぜられた。 |
| 1425年 | 従一位に叙される。 |
| 1429年 | 左大臣に任ぜられた。 |
| 1432年 8月 |
摂政・氏長者に任ぜられた。 |
| 1432年 10月 |
室町幕府将軍足利義教が二条持基を重用したことから、摂政を拝賀以前に解任された。 |
| 1446年 | 足利義政が将軍になると、太政大臣に任ぜられた。 |
| 1447年 | 関白・氏長者になった。 |
| 1450年 | 太政大臣を辞任。 |
| 1453年 | 関白を辞任。 |
| 1453年 | 准三宮の宣下をうけた。 |
| 1458年 | 准三宮を辞任した。 |
| 1467年 | 再び関白に任ぜられた。 |
| 1467年 9月 |
応仁・文明の乱の際に、一条坊門邸と膨大な和漢の書籍を集積した文庫「桃華坊」(とうかぼう)が焼かれた。 |
| 1468年 8月 |
関白職現任のまま、一部疎開させてあった蔵書とともに五男の大乗院尋尊を頼って奈良興福寺大乗院門跡に避難した。 |
| 1468年 ~ 1477年 |
京都に戻るまで、奈良を拠点に学芸面で活躍し、「花鳥余情(かちょうよせい)」「日本書紀纂疏(さんしょ)」など代表的著作を完成した。戦乱が続いて生活が苦しかったため、伊勢国・近江国・美濃国などにも旅をして大名に教学を授けて献金を受けた。。 |
| 1470年 | 関白を辞任した。 |
| 1472年 | 源氏物語の注釈書「花鳥余情(かちょうよせい)」「日本書紀纂疏(さんしょ)」を完成させた。 |
| 1473年 | 美濃国に下向し、奈良に戻ってまもなく大乗院で出家入道した。 |
| 年代不詳 | 晩年も故実・典礼・古典文学などの研究にいそしみ、物語・連歌・和歌に関する数多の著作を残した。 |
| 1476年 | 精力絶倫だったため、75歳で娘をもうけ、その子女はあわせて26人にも上った。 |
| 1477年 | 日野富子らの尽力で京都に戻った。 |
| 1479年 | 子の一条冬良の右大将拝賀のときにはその費用を得るために80歳に近い老体をおして越前朝倉家の朝倉孝景のもと下向して家領足羽御厨の返付を要求したが聞き入れられず、200貫文の寄進を得て帰京。 |
| 1480年 | 将軍の足利義尚の求めで『樵談治要(しょうだんちよう)』を記述し贈呈した。 |
| 1481年 4月2日 |
「江家次第」の御進講のさなかに倒れ、風邪がもとで80歳で死亡した。東福寺普門院で葬儀が行われた。墓所は東福寺常楽院(京都府京都市東山区)にある。 |
| 人物 | 南北朝時代きっての碩学(せきがく)の二条良基を祖父に、また歴代学問の家として名高い菅原(すがわら)家の東坊城秀長を外祖父にもっただけに、若年より俊才をうたわれ、後年には「五百年来の大学者」「一天無双の才」とたたえられた。和漢の学に通暁し,みずからも菅原道真に勝れりとするほどの自負を抱き公家・武家が催す詩歌の席にはつねに出席を求められた。古典では「源氏物語」などを天皇、将軍家に進講し「日本書紀纂疏」「花鳥余情(かちょうよじょう)」「伊勢物語愚見抄」などを著した。「歌林良材集」「連珠合璧集」和歌の「新続和歌集」連歌の「新式今案」などの歌学入門書、日野富子に与えた女人政治を論ずる「小夜寝覚」将軍足利義尚のための「文明一統記」「樵談治要(しょうだんちよう)」などの教訓書。有職故実では「公事根源(くじこんげん)」「江家次第抄」「代始和抄」「世諺問答」「二判問答」など、子の一条冬良のために「桃華蘂葉(ずいよう)」美濃下向時の紀行文「藤河の記」金春禅竹に与えた「桃華老人申楽後証記」仏教関係の「勧修念仏記」「多武峰縁起」など、多数の著書がある。 |
備考
| 参考文献 | 日本大百科全書(ニッポニカ)小学館 ウェブ版 2024年1月7日閲覧 精選版 日本国語大辞典 ウェブ版 2024年1月7日閲覧 デジタル大辞泉 小学館 ウェブ版 2024年1月7日閲覧 改訂新版 世界大百科事典 平凡社 ウェブ版 2024年1月7日閲覧 朝日日本歴史人物事典 朝日新聞出版 ウェブ版 2024年1月7日閲覧 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ウェブ版 2024年1月7日閲覧 山川 日本史小辞典 改訂新版 山川出版社 ウェブ版 2024年1月7日閲覧 |
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