一万人の戦国武将

義承(ぎしょう)

生年月日 1406年
没年月日 1467年10月18日
幼名
通称
別名 梶井義承
官位
家系 足利将軍家
足利義満
藤原誠子
正室
側室

年表

1406年 室町幕府3代目将軍の足利義満と側室の藤原誠子の十男として生まれる。
1412年
3月
梶井門跡に入室し得度した。
1428年
1月18日
兄で室町幕府4代目将軍の足利義持が死亡すると、他の兄弟ら義円(のちの足利義教)や義昭・永隆と共に足利義持の後継者の1人として推挙された。
1428年 天台座主となった。
1435年 2度目の天台座主となった。
1441年
6月
嘉吉の乱で異母兄の室町幕府6代目将軍の足利義教が死亡したため、室町幕府から赤松満祐や他の野心家などに擁立される事を恐れて尊満ら他の兄弟と共に鹿苑院に身柄を移された。
1441年
8月
足利義教の跡を継いだ室町幕府7代目将軍の足利義勝が幼少のため、室町幕府からその後見人として擁されたが、准三后の宣下を受けて門跡に還った。
1467年 応仁の乱が起こると戦乱を避けるために大原の来迎院に移った。
1467年
10月18日
62歳で死亡。