一万人の戦国武将

烏丸資任(からすまるすけとう)

生年月日 1417年
没年月日 1482年12月15日
幼名
通称
別名 西誉(法名) 号 蓮光院
官位 従一位 准大臣
家系 烏丸家
烏丸豊光
正室
側室

年表

1417年 公卿の烏丸豊光の長男として生まれる。
1436年1月2日 足利義政が生まれると屋敷で養育した。
1443年 室町幕府7代目将軍の足利義勝が急死すると足利義政が将軍を継ぐことになったため、烏丸資任の屋敷(烏丸殿)が将軍の御所として用いられることとなった。
1444年 参議に任官。
1452年 権大納言に任官。
1458年 従一位に昇叙。
1459年 准大臣に任じられた。
1459年 この頃まで烏丸殿が御所として用いられていたため、将軍の育ての親的存在になった烏丸資任の発言力が高まった。
1467年 出家し、西誉と号した。応仁の乱を避けて三河国伊良湖御厨に下向した。
1482年12月15日 三河国伊良湖御厨で66歳で死亡。
人物 今参局(御今)や有馬元家と共に一時幕政に深く関与し、3人とも「おいま」「ありま」「からすま(る)」と「ま」がつくことから「三魔」と呼ばれた。