一万人の戦国武将

金田頼綱(かねだよりつな)

生年月日
没年月日
幼名
通称
別名
官位 信濃守
家系 菖蒲金田家
金田定綱
正室
側室

年表

不詳 菖蒲金田家の4代目で古河公方足利家の家臣の金田定綱の長男として生まれる。
1538年
10月
第一次国府台合戦で足利義明に従った父の金田定綱が敗北し、足利高基に帰参した後、家督を金田頼綱に譲った。菖蒲城主。
1552年 金田頼綱は足利義氏が北条氏康に擁立されて古河公方となると、一貫して足利義氏に従った。
1560年 関東に出陣してきた上杉輝虎が古河公方に足利藤氏を担ぎ出したが、金田頼綱は足利藤氏・上杉輝虎に属すことはなかった。
1564年 伊勢氏流北条家の麾下として武蔵国笠羽田に500貫の地を拝領した。足利義氏を通じて伊勢氏流北条家の家臣に準じるような立場に置かれていった。