一万人の戦国武将

鳴海城(なるみじょう)

別名 根古屋城
所在地 愛知県名古屋市緑区鳴海町城
築城主 安原宗範
築城年月日 1394年~1428年(応永年間)
廃城年月日 1590年頃年
城主 安原宗範
山口教継
岡部元信
佐久間信盛
城代
構造 平城
城の規模は東西に75間半、南北34間

年表

1394年~1428年(応永年間) 足利義満の配下であった安原宗範によって築かれた。その際にこの地にあった成海神社は北の乙子山に移された。安原宗範の死後、廃城になったといわれる。
1548年頃 この頃には織田信秀の支配下にあり、古城跡を改修し、山口教継が今川義元に備えるために城主を務めていた。
1552年
3月3日
織田信秀が死亡し、織田信長が家督を継ぐと、山口教継は城ごと今川義元に寝返った。
1552年
4月17日
赤塚の戦いで織田信長が鳴海城の奪還を試みるも引き分けに終わった。
1558頃年 山口教継・山口教吉の父子は今川義元によって切腹に追い込まれた。今川家譜代の岡部元信に城主が変更され今川家直轄の重要拠点となった。
1559年頃 鳴海城の周囲には織田信長によって丹下砦・善照寺砦・中嶋砦が築かれた。
1560年
5月19日
桶狭間の戦いで今川義元が討ち取られ、岡部元信は首級と引き換えに城を明け渡した。戦後、佐久間信盛が城主を務めた。
1590年頃 廃城となった。