一万人の戦国武将

清洲城(きよすじょう)

別名 清須城
所在地 愛知県清須市一場
築城主 斯波義重
築城年月日 1405年または1375年
廃城年月日 1613年
城主 斯波義重
織田信友
織田信長
織田信雄
福島正則
松平忠吉
徳川義直
城代
構造

年表

1405年 尾張国・遠江国・越前国守護の管領の斯波義重が築城。尾張国守護所である下津城の別郭として建てられた。1375年の説あり。
1476年 下津城が織田伊勢守家と織田大和守家の内紛によって焼失した。
1478年 守護所が清洲城に移転することで尾張国の中心となった。尾張国下四郡を支配する織田大和守家の本拠として機能した。
1555年 織田信長と結んだ織田信光によって織田大和守家の織田信友がされると、織田信長が那古野城から移って大改修を加えた後、本拠とした。
1562年 清洲城で織田信長と徳川家康が同盟を結んだ(清洲同盟)。
1563年 織田信長が美濃国の斎藤家との戦に備えて小牧山城に移り、以後は番城となった。
1582年 本能寺の変で織田信長が討たれると、清洲城で清州会議が行われ、城は次男の織田信雄が相続した。
1586年 織田信雄によって2重の堀の普請、大天守・小天守・書院などの造営が行われた。
1590年 小田原征伐後の豊臣秀吉の国替え命令に織田信雄が逆らって除封され、豊臣秀次の所領に組み込まれた。
1595年 福島正則の居城となった。
1600年 関ヶ原の戦いの際は、東軍の後方拠点として利用され、戦後は安芸国に転封した福島正則に代わり、徳川家康の四男の松平忠吉が入った。
1607年 松平忠吉が関ヶ原の戦いの傷がもとで病死すると徳川家康の九男の徳川義直が入城し、清洲藩の本拠となった。
1609年 徳川家康によって、清洲から名古屋への遷府が指令される。
1610年 清洲城下町は名古屋城下に移転され清洲城も名古屋城築城の際の資材として利用され、特に、名古屋城御深井丸西北隅櫓は清洲城天守の資材を転用して作られたため「清須櫓」とも呼ばれる。
1613年 名古屋城の完成と城下町の移転が完了したことにより廃城となった。