一万人の戦国武将

関宿城(せきやどじょう)

別名
所在地 下総国葛飾郡関宿三軒家
千葉県野田市関宿三軒家
築城主 簗田満助
築城年月日 1420年頃
廃城年月日 1872年
城主 簗田満助
簗田持助
簗田成助
簗田晴助
松平康元
松平忠良
松平重勝
小笠原政信
小笠原貞信
北条氏重
牧野信成
牧野親成
板倉重宗
板倉重郷
板倉重常
久世廣之
久世重之
牧野成貞
牧野成春
久世重之
久世暉之
久世広明
久世広誉
久世広運
久世広周
久世広文
久世広業
城代
構造 平城

年表

1420年頃 足利持氏の家臣の簗田満助が下総国関宿に築城した。
1440年 結城合戦で結城氏朝・結城持朝の父子に呼応して、下河辺一族が関宿城で挙兵した。
1457年 足利成氏は、古河城を中心として、直臣の簗田持助を関宿城、野田家を栗橋城、一色直清を幸手城、佐々木家を菖蒲城に置くなど攻守網を形成し、上杉家と拮抗するようになった(享徳の乱)。
1558年 簗田晴助が城主だったが、足利義氏が古河城と交換する形で入城する。
1565年

1574年
北条氏康・北条氏政・北条氏照の父子が、上杉輝虎・佐竹義重の援助を受けた簗田晴助の守る関宿城を、3度に渡り攻撃。最終的には伊勢氏流北条家がこれを制し、北関東進出の拠点とした。
1590年 小田原征伐後、松平康元が入城し関宿藩を興す。
1671年 天守が破損し、御三階櫓を江戸城富士見櫓を模して建築した。
1742年 寛保2年江戸洪水により利根川上流部の舞木・赤岩・北河原及び新川通が破堤し、関宿城下に甚大な被害をもたらし、城郭も大破した。
1870年 外曲輪が焼失した。
1872年 廃城が決定した。
1875年 民間に払い下げられ、破却した。
1995年 千葉県立関宿城博物館として再建された。