一万人の戦国武将

志摩城(しまじょう)

別名 嶋城
所在地 下総国香取郡千田荘
千葉県香取郡多古町島字塙台
築城主 不明(千葉家一族?)
築城年月日 鎌倉時代以降
廃城年月日 1455年8月15日
城主 千田家
城代
構造 平山城
多古町島字塙台地先に所在し、栗山川流域に広がる低地の中に島状に浮かぶ標高18メートルの独立台地に占地する。広い平坦な郭で、西側に「二ノ台」で二郭がある。300メートル×200メートルとかなり広いが周囲には土塁や空堀なども見られない。

年表

鎌倉時代
以降
築城年・築城主ともに不明であるが、多古地方はかつて千田荘に属し、鎌倉時代以降に千葉家の地盤であった。志摩城は多古城の出城だったと思われる。
1455年
3月20日
原胤房に攻められていた亥鼻城が落城し、千葉胤直・千葉胤賢・千葉胤宣・円城寺尚任は千田荘に逃れ、多古城・志摩城に籠城した(千葉合戦)。
1455年
8月15日
原胤房に攻められた千葉胤直・千葉胤賢は志摩城に籠城していたが陥落し、千葉胤直は大野小五郎らと東禅寺に走り一族郎党とともに自刃した。千葉胤賢は子の千葉実胤・千葉自胤とともに脱出し、上総国武射郡小堤城に逃れた。この後廃城になったと思われる。