幸手城(さってじょう)
別名 | 田宮城 |
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所在地 | 下総国葛飾郡田宮荘幸手村 埼玉県幸手市中1丁目16-23 |
築城主 | 一色直氏 |
築城年月日 | 1399年 |
廃城年月日 | 1590年 |
城主 | 一色直氏 一色直兼 一色直清 一色直勝 一色直朝 |
城代 | |
構造 |
年表
1399年 | 一色直氏が築城する。 |
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1457年 | 足利成氏が、古河城を中心として、直臣の簗田持助を関宿城、関東野田家を栗橋城、一色直清を幸手城、佐々木家を菖蒲城に置くなど攻守網を形成し、上杉家と拮抗するようになった(享徳の乱)。 |
1471年 | 古河公方と対立する山内上杉氏の重臣の長尾景信・太田資忠に攻められ落城したが、その後再び整備した。 |
1554年 10月 |
北条氏康が古河公方の足利晴氏を攻め、北条軍により幸手城および天神島城が落城する。 |
1590年 | 小田原征伐後、一色直朝と子の一色義直が幸手城を退去し、下総国大淵寺に隠居する。そのため、幸手城は廃城となったと思われる。 |