一万人の戦国武将

古河公方館(こがくぼうやかた)

別名 鴻巣館
鴻巣御所
所在地 茨城県古河市鴻巣399-1(古河公方公園内)
築城主 足利成氏
築城年月日 1455年6月
廃城年月日 1630年
城主 足利成氏
足利氏姫
喜連川義親
喜連川尊信
城代
構造 御所沼に向けて、東から西に延びる半島状の台地上にある。城域は東西700メートルに及び、先端にあたる西側から順に、1曲輪(根城)(南北幅40メートル、東西長135~140メートル)、2曲輪(中城)(南北幅70~100メートル、東西長180メートル)、外郭(宿)(南北幅100~130メートル)の3区画が確認されている。各区画の間には空堀があり、堀の西側には土塁も設けて、東側からの来襲に備えていた。

年表

1455年
6月
相模国鎌倉を本拠としていた足利成氏が今川範忠に占領され鎌倉を放棄し、古河鴻巣に屋形を築城した。
1457年
10月
足利成氏は修復が終わった古河城に移った。
1590年 豊臣秀吉の古河城破却令により足利氏姫が移ってきた。
1630年 喜連川にいた喜連川頼氏が死亡すると喜連川尊信は後を継ぐため古河公方館を離れた。残された本館は時宗十念寺の寺域となる。