一万人の戦国武将

亥鼻城(いのはなじょう)

別名 猪鼻城
千葉城
所在地 下総国千葉郡池田郷亥鼻
千葉県千葉市中央区亥鼻1丁目8
築城主 千葉常重
築城年月日 1126年
廃城年月日 1516年以降
城主 千葉家
下総千葉家
千葉胤直
岩橋輔胤
城代
構造 平山城
突端の構造が猪の鼻に似ている、あるいは亥の方角を向いていることから、亥鼻の名がある。突端部には神明社があり、神明社のある郭は物見だった。広大な範囲を城域に含む。城北側の台地下には「お茶の水」という井戸があった。この井戸から汲んだ水で千葉常胤がお茶をたて、源頼朝に献じたなどの伝説が残されている。城東側は池田坂と呼ばれ、城の搦手(裏門)であった。

年表

1126年 千葉常重が築城し、上総国大椎城から拠点を移した。
1335年 千葉家の一族の内紛の際に、千葉胤貞が亥鼻城を攻撃した。
1455年
1月末頃
かねてから親上杉派である千葉胤直と重臣の円城寺尚任に不満を抱いていた叔父の馬加康胤と重臣の原胤房の連合軍が亥鼻城を攻撃した(千葉合戦)。
1455年
3月20日頃
馬加康胤・原胤房に攻められていた亥鼻城が落城し、千葉胤直・千葉胤賢・千葉胤宣・円城寺尚任は千田荘に逃れた。
1457年頃 岩橋輔胤が実効支配していたと思われる。
1469年

1486年
(文明年間)
岩橋輔胤が本拠を本佐倉城に移した。
1516年 真名城主の三上家は扇谷上杉家の求めに応じ、古河公方の足利高基派の下総千葉家の家臣の原家が籠もる亥鼻城を攻撃した。文明年間に廃城になったものをこのときに再利用したのではないかと思われるが、その後使われた記録がないためこれ以降に廃城になったと思われる。