一万人の戦国武将

野田城(のだじょう)

別名 野田要害
高橋城
所在地 下野国足利郡
栃木県佐野市高橋217
築城主 関東野田家
築城年月日 不詳
廃城年月日 不詳
城主 野田持忠
城代
構造

年表

年代不詳 関東野田家が築城したと思われる。
1440年 結城合戦が起こると野田持忠の家臣の加藤伊豆守などは共に鎌倉公方方として野田城に軍勢を集めて上杉家方を討つべく評定を行った。
1441年 野田持忠の家臣は野田城に集まり、上野国方面への進出を図ったが、上野国守護代の任にあった大石憲儀は、国内の一揆に号令をかけて野田城攻めを行おうとしたが、一揆は動かなかった。やむなく大石憲儀は自分の手勢だけを率いて野田城を攻撃し陥落させた。
1532年

1555年
(天文年間)
館林城主の赤井山城守の重臣の一人である白石豊前守(長尾顕長の重臣とも)の居城であったという説がある。