一万人の戦国武将

小栗城(おぐりじょう)

別名
所在地 茨城県筑西市小栗197
築城主 小栗重家
築城年月日 1155年
廃城年月日 1597年
城主 小栗重家
小栗重成
小栗満重
小栗助重
小宅尚時
城代
構造 山城
本丸は50メートル四方の広さがあり、南側に二の丸、三の丸が在り夫々横堀でつながっている。

年表

1155年 大掾家の分家の小栗重家が築城し、小栗家15代の居城として使われる。。
1180年 源頼朝は佐竹征伐の帰路に小栗重成の館に泊まる。
1422年 小栗城主の小栗満重ら京都扶持衆が反乱を起こした(小栗満重の乱)。
1423年 鎌倉府の足利持氏と激戦を繰り広げたが鎌倉府軍の大軍に反乱軍の多くは劣勢を強いられ最終的に小栗満重は小栗城で自刃したため小栗家は没落した。小栗城及び小栗御厨は鎌倉府領となった。
1441年
4月16日
結城合戦で小栗助重が戦功をあげたため旧領に復帰することを許され、小栗家の家督を継いだ。
1455年
閏4月
鎌倉公方の足利成氏からの攻撃を受け、小栗城は陥落し小栗家は滅亡した(享徳の乱)。
1552年 宇都宮家の家臣の小宅尚時が城主の時に結城政勝に攻められ小栗城は結城家に奪われる。
1560年 宇都宮広綱によって奪還される。
1564年 小田家の家臣の信太頼範が攻めた際には、小宅尚時は坂戸城に籠城するが、坂戸城が落ちると、小宅尚時は小栗城へ逃れる。宇都宮勢が反撃して信太頼範を討ち取り、小宅尚時は坂戸城も回復した。
1597年 豊臣秀吉の命で宇都宮国綱が改易になると小栗城は廃城となった。