一万人の戦国武将

千葉家(ちばけ)

千葉家は桓武天皇の孫にあたる平高望の五男の平良文の曾孫にあたる平常将から始まる。千葉常兼から千葉を称し、下総国千葉郡千葉郷を本拠とした。また、下総権介となり千葉介を名乗った。以降、千葉家の惣領は千葉介を名乗ることになる。1275年、元寇により千葉頼胤が討ち死にすると長男の千葉宗胤が肥前国に下った。下総国の留守を預かる家臣たちの中に、下総国守護の職務が行えない千葉宗胤に代わって弟の千葉胤宗を当主に擁立して、千葉宗胤には肥前国に留まるように望む意見が高まった。反発する千葉宗胤と支持する家臣は抵抗し、長期にわたって紛争を続けた。1336年、千葉胤宗の子の千葉貞胤が室町幕府より下総国守護の地位を保障された。嫡流の千葉宗胤の次男の千葉胤泰は肥前千葉家を興すことになり、千葉家は下総千葉家と肥前千葉家に分かれることとなった。

家系図

千葉家