一万人の戦国武将

加納口の戦い(かのうぐちのたたかい)

別名 井ノ口の戦い
年月日 1544年9月22日(一次)
1547年9月22日(2次)
場所 美濃国井ノ口
交戦勢力 朝倉・織田連合軍
斎藤家
総大将 織田信秀
斎藤秀龍
参加武将 朝倉孝景
土岐頼純
土岐頼芸
織田信康
青山秀勝
坪内広綱
 
結果 斎藤家の勝利

戦いの経緯(一次)

1544年
9月22日
斎藤秀龍の美濃国守護の土岐頼芸に対する逆心を憎んだ織田信秀が、越前国の朝倉孝景と呼応して、美濃国へ南北から攻め入った。両勢から攻められた斎藤秀龍は和睦することにした。

戦いの背景(2次)

1547年
8月15日
朝倉孝景と織田信秀は、大桑城に籠もる土岐頼芸と土岐頼純に蜂起させて、朝倉・織田連合軍で支援しようとしたが、斎藤秀龍が先手を打って大桑城を13000の兵で強襲して攻め落とした。土岐頼純は打って出て討ち死にし、土岐頼芸は朝倉家を頼って一乗谷に逃れた。
1547年
9月3日
織田信秀は尾張国中に要請して兵を集め、美濃国へ侵攻した。

戦いの経緯(2次)

1547年
9月22日
織田信秀は、方々に放火をして回り、斎藤秀龍の居城の稲葉山城山麓の村々を焼き払って町口にまで迫った。午後4時頃になったので一旦引き上げることにし、兵が半分ほど引いたところへ斎藤秀龍が攻撃してきて、織田方は守備が整わず、弟の織田信康や家老の青山秀勝など5000人が討ち死にした。