武蔵須賀合戦(むさしすかかっせん)
別名 | 騎西郡の合戦 崎西の戦い |
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年月日 | 1455年12月3日~1455年12月6日 |
場所 | 武蔵国埼玉郡須賀 埼玉県加須市 |
交戦勢力 | 上杉家 |
古河公方足利家 | |
総大将 | 足利成氏 |
上杉憲信 | |
参加武将 | 武田信長 一色直清 金田友綱 |
上杉憲信 長尾景仲 上杉藤朝 上杉憲明 |
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結果 | 古河公方足利家が勝利 |
戦いの背景
1454年 12月27日 |
足利成氏が上杉憲忠を謀殺し、享徳の乱が勃発した。 |
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1455年 12月 |
足利成氏が下野国天命・只木山の陣を崩壊させ、上杉勢を騎西城まで撤退させた。 |
戦いの経緯
1455年 12月3日 |
騎西城には上杉藤朝・長尾景仲・上杉憲信・上杉憲明らが集まった。足利成氏は武田信長・里見・簗田・一色直清・金田友綱・鳥山らに300騎余りを添えて、騎西城を攻めた。上杉方は打って出て武蔵国須賀にて両軍が激突するが、上杉方は敗れて騎西城に撤退した。 |
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1455年 12月6日 |
古河公方方が手痛く攻めたので、ついに騎西城は攻め落とされた。城主の小田正達が金田友綱に討ち取られた他、上杉方数百人が討死した。 |