千葉合戦(ちばかっせん)
別名 | |
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年月日 | 1455年1月末頃~1455年3月20日頃 |
場所 | 下総国千葉郡池田郷亥鼻(亥鼻城) 千葉県千葉市中央区亥鼻1丁目8 |
交戦勢力 | 千葉家(下総千葉家) |
原胤房 | |
総大将 | 千葉胤宣(千葉胤直) |
原胤房 | |
参加武将 | 千葉胤直 千葉胤賢 千葉胤宣 円城寺尚任 |
原胤房 | |
結果 | 原胤房の勝利 |
戦いの背景
1454年 12月27日 |
古河公方の足利成氏が関東管領の上杉憲忠を謀殺して享徳の乱が勃発した。足利成氏側で千葉家の重臣の原胤房は千葉胤直・千葉胤宣の父子に足利成氏側になるよう説得したが、同じく千葉家の重臣の円城寺尚任の説得で上杉(室町幕府)側として足利成氏追討軍に参加した。 |
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戦いの経緯
1455年 1月末頃 |
かねてから親上杉派である千葉胤直・千葉胤宣の父子と重臣の円城寺尚任に不満を抱いていた原胤房が亥鼻城を攻撃した。 |
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1455年 2月2日 |
千葉家の直臣の曽谷浄忠が討死した。 |
1455年 3月20日 |
原胤房に攻められていた亥鼻城が落城し、千葉胤直・千葉胤賢・千葉胤宣・円城寺尚任は千田荘に逃れ、多古城・志摩城に籠城した。 |