一万人の戦国武将

結城直朝(ゆうきなおとも)

生年月日 1410年
没年月日 1493年
幼名
通称
別名 道朝
官位 左兵衛佐
修理大夫
家系 小峰家
白河結城家
小峰朝親
養父 結城氏朝
正室
側室

年表

1410年 小峰家5代目の小峰朝親の長男として生まれる。白河結城家5代目の結城氏朝の養子となる。
1432年 この頃、家督を継いだ。修理大夫に任ぜられる。
1438年 永享の乱で活躍し、室町幕府の支持を得て、南奥州や北関東の諸家に対して勢威を及ぼした。
1451年 蘆名家の内乱で蘆名盛詮を救援する、
1452年 鎌倉公方の足利成氏の兄が還俗して足利義氏(成潤)と名乗り、鎌倉公方となるべく結城直朝に対し常陸国の小栗六十六郷の宛行を約束し、幕府の要人である細川持賢との連絡を賞し下野国について宇都宮家との相談を行うよう促す書状が届く。
1458年 享徳の乱で古河公方の足利成氏によって関東から追放された宇都宮等綱を保護している。室町幕府から足利成氏討伐を命じられ、奥州探題の大崎教兼と共に出陣するよう命じられているが、関東に出陣する事はなかった。
1466年 長男の結城政朝に家督を譲り、出家して道朝と号したが、その後も実権は持ち続けた。
1472年 二家に分裂していた下野国の那須家それぞれの当主の那須明資と那須資実の仲介をしたり、他家の紛争に介入して所領を得た。
1481年 結城政朝が催した連歌会(「白河万句」)に出席している。
1493年 84歳で死亡。